料理人 野﨑洋光

Vol.3いざ料理人の道へ。
忘れられぬ恩師と、まかない料理。

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ボクシングにも夢中だった
専門学校時代

和食の料理人を代表する野﨑洋光さん。高校卒業後、地元福島を離れて、いよいよ料理の道に進むことになります。

子どもの頃から腎臓を患っていた大好きなお姉さんのために、栄養のことを勉強したいと考え、東京にある栄養の専門学校に進学します。ですが、実は上京してから、料理以外にもう1つのめりこむものがありました。

「子どもの頃からスポーツが得意で、ボクシングにすごく興味があったんです。だから、昼間は専門学校に通って、夜はボクシングジムに通う毎日を過ごしていました」

しかし、野﨑さんが専門学校1年生のとき、大好きで優しいお姉さんが亡くなってしまいました。

「栄養の専門学校に通ったのは、姉の病気を治したいという気持ちが大きかったので、姉が亡くなって、勉強する目的を見失ってしまったんです。それで、ボクシングにのめりこんでしまいましてね、東京都の大会で決勝にいくほどまでになったんです」

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どんどん実力がつき始めて、ボクシングのプロの道に進むことも意識し始めた、という野﨑さん。料理の道か、ボクシングの道か。どちらに進むかを迷っているときに、ジムの先輩であり、人気ボクサーだったリッキー沢(沢口和広)さんからあることを尋ねられました。

「ボクシングで一生食べていけると思うか? たとえボクシングで脚光を浴びることができたとして、ボクサーの現役は25、26歳まで。リタイヤしたら27、28歳。その年齢から料理の世界に入って、いろいろ教えてもらうために、自分よりも10歳近くも年下の人に、この先ずっと頭を下げ続けることになるんだよなぁ。それがお前にはできるのか?」と。

ボクシングを続けていたら、網膜剥離になる可能性だってある。料理人にとって目はとても大切なものです。

「尋ねられたことで冷静に考えることができて、すっと気持ちがふっきれたんです。そうだ、自分は料理人になろう、と決めることができました」

やがて、野﨑さんは栄養の専門学校を卒業して、日本料理店に就職します。

仕事に向き合う姿勢を変えてくれた
恩師との出会い

最初に野﨑さんが働き始めた店は、割烹料理店でした。そして半年たってすぐに、系列のお店に異動を命じられます。桟敷席の横には川が流れていたり、舞台があったりと、とても大きくて立派な店だったそうです。

そのお店には、野﨑さんの仕事に対する姿勢を大きく変えることになる出会いが待っていました。

「みんなから“鬼の菊池”とおそれられていた、菊池貞一さんという調理師がいらっしゃいました。僕はその人について修業することになりました。菊池さんは当時まだ27歳だったんですが、店で一番人望があって、とにかく厳しい人だった。僕は料理の基礎がわかってなかったから、『勝手に触るな。仕事しなくていいから邪魔するな』って言われて」

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菊池さんに毎日怒られてばかりの野﨑さん。

「怒られるとふてくされるじゃないですか。すると、『なんだその態度は』ってまた怒られる。怒られるたびにやめてやる!と思っていました」

いくら怒られても、うまくできない。やりたいこともできない。これはもう、と野﨑さんは開き直りました。

「ほかの人が来る5時間前に店に入って、1人で厨房の掃除をやり始めました。冷蔵庫の中を整理整頓したり、鍋などの調理道具を磨いたり。仕事時間中に、自分がうまく動けるように準備しておきたいと考えて始めたんです」

実は菊池さんは、整理整頓がきちんとできていないと仕事をさせてくれない人だったようでした。

「何もわかっていなかった僕は、そのことになかなか気がつけなかったんですよね。で、毎日早く入って掃除をしていたら1か月半もすると、冷蔵庫に今何がどれくらい残っているかすぐにわかる。菊池さんに冷蔵庫の食材を尋ねられても『三つ葉が12本ありますから、昼の6人分に使えますね』とか、すぐに答えられるわけです」

菊池さんは、野﨑さんの様子をきちんと見てくれていました。

「昨日汚かったところがきれいになっていると、誰が掃除したのかがわかるわけじゃないですか。すると、『これやってみろ』と言われるようになって。少しずつですが、調理をやらせてもらえるようになりました」

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菊池さんのもとで修業をし始めたこの頃が、今の自分の基礎を作ったと野﨑さんは感じているそうです。

「毎朝5時間早く店に行って準備をすることが、次の仕事にもつながっていったんですよね。段取りさえしておけば、倍の仕事ができる。料理人として大切なそんなことを、学ばせていただきました」

苦労時代に食べていた
思い出深いまかない料理
その味つけは味噌でした

野﨑さんにとって、この頃によく食べていた、思い出深いまかないがあるそうです。

「ねぎとろ丼とあら汁ですね。魚介をたくさん扱っている店だったから、まかないにまぐろのカマを使うことがけっこうあったんですよ。カマの部分は大トロでうまいんです。贅沢でしたね」

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脂がのった大トロは粗くたたいて、ねぎや青じそをたっぷりと。食感がよくなってさっぱりします。そして、味つけは味噌。

「普通、ねぎとろ丼には味噌は使わないと思いますが、ぜひ作ってみてください。まぐろそのもののおいしさが深く広がって、おいしいんですよ。新しいまぐろの魅力に出会えます」

味噌で味つけしたねぎとろは、ごはんにのせてどんぶりに。残ったカマは、赤だし味噌を使ってあら汁に。まさに味噌が織りなす、豪快まぐろ定食ですね。

働く場所が変わっても
働く姿勢は変えなかった

その後、野﨑さんは、菊池さんや親方などと一緒に、東京グランドホテルへ異動することに。そこで3年間経験を積んだおかげで、当時の料理人の登竜門といわれていた八芳園に入店することができました。

調理場には、追い回し(魚や野菜を洗う下働き)、脇鍋(煮方の補助)、焼き場、揚げ場、板場(魚のさばき手)、煮方、立板(全体を取り仕切る役)、花板(料理長)といったいろいろなポジションがあります。脇鍋から始められると言われて入店した八芳園でしたが、実際には追い回しからのスタートでした。

とてもがっかりした野﨑さんですが、気持ちを切り替え、その店でも朝早くに入って、掃除や調理道具の手入れなどを続けたそう。

「朝だけでなく、何かできることはないかとずっと体を動かしていました。そうこうするうちに、1年もたたないうちに次から次へとポジションが上がっていきました」

そして、ふぐ調理師免許取得のために、忙しい合間をぬって市場での講習にも通い、見事合格。料理人としての新たな道がどんどん開けていきます。続きは次回をお楽しみに。

ねぎとろ丼

ねぎとろ丼

材料(4人分)

  • まぐろ(トロ・あればカマの身からとる)……150g

  • 細ねぎ……1本

  • 青じそ……4枚

  • 味噌(おすすめは「信州蔵みそ」)…30g 

  • いり白ごま……大さじ2

  • 焼きのり……1枚

  • あたたかいごはん……適量

作り方

  1. 細ねぎ、青じそは細かく刻む。

  2. まぐろのカマの身をスプーンでこそげ取り、まな板にのせて包丁でたたく。1、味噌を合わせて包丁でたたきながらまぜ合わせる。

  3. どんぶりにごはんを盛り、2をのせてごまを散らし、焼きのりを小さくちぎって散らす。

「ねぎとろ丼」に
おすすめの蔵乃屋の味噌

信州蔵みそ

信州蔵みそ

「ねぎとろ丼」で、脂ののったトロをよりまろやかな味にしてくれるのが味噌です。
さわやかな発酵香で、クセのない淡色系の信州蔵みそ。風味のよい漉し味噌で、ぜひこの料理を作ってみてください。

まぐろのあら汁

まぐろのあら汁

材料(4人分)

  • まぐろのあら……150g

  • 塩……適量

  • 味噌(おすすめは「伊勢赤だし」)……40g

  • ねぎの小口切り……1/3本分

作り方

  1. まぐろのあらは食べやすい大きさに切り、よく洗って汚れを落とす。バットに広げて塩を振り、20分ほどおく。

  2. 鍋に湯を沸かして1を入れ、1分ほどゆでたら引き上げてボウルに入れ、汚れを洗い流す。

  3. 鍋に水2.5カップ、2を入れて中火にかけ、煮立ったら弱火にして2分ほど煮る。火を止めて味噌をとき入れる。

  4. 椀に盛り、ねぎをのせる。

「まぐろのあら汁」に
おすすめの蔵乃屋の味噌

伊勢赤だし

伊勢赤だし

「まぐろのあら汁」を、すっきりとした味わいに仕上げてくれるのが味噌です。
大豆こうじに米こうじを加え、木桶で仕込んだまろやかな赤だしで、ぜひこの料理を作ってみてください。

『料理人 野﨑洋光』を観る

信州二十五割糀みそ 粒